”しじみの味噌汁”に入っている蜆の身は食べるべきか?残すべきか?

”しじみの味噌汁”に入っている蜆の身は食べるべきか?残すべきか?

”しじみの味噌汁”のシジミは食べるべきか否か?

さてさて、そろそろ記事のネタと言うか海外出張で取材に行けてないので、写真も含めてモロモロが不足して来たので、あえて言おう!

「たまには写真に頼らない記事も書いて見よう俺!」

昨今、とりあえず適当に食べて適当に写真貼っておけばいいだろう(どうせ誰も文章は読んでいないと思うし)みたいな雰囲気が漂って来たので、ここらで一発”文字のチカラ”だけで記事を構成してみたいと思います。

いや、まあライターって本来はそういう職業ですし、基本となる文章を上手く組み立てられないとダメだと思うんですよね。

と、言う訳で今回は日本人にとって馴染みのある、むしろ魂と言っても過言ではない”味噌汁”について語りたいと思いますが、味噌汁においても語ると長くなるので、今回はピンスポットで味噌汁界の問題児”しじみの味噌汁”について考察しようと思います。

まず、味噌汁の具で”しじみ”に遭遇する確率は少なくないと思うのですが、ここで大きな問題が毎回必ず発生します。

「しじみの身を食べるべきか残すべきか?」

この永遠のテーマについて本気で考える時期が来たんじゃないでしょうか?

シジミの身も食べる派の意見

その前に平仮名で”しじみ”だと文章の中に埋もれて読みにくくなり、漢字で”蜆”と書くとシジミと読めないニューウェーブが多数居ると思うので、ここはカタカナで”シジミ”と書くのがライティング的には良いでしょうか?

「シジミは出汁で入れてるから残しても問題ない」とは言われていますが、やはり身の部分も食べれば美味しいし、何より食べ物を粗末にするのは良くないと思うので毎回食べます。

確かに”シジミ”はひとつひとつが小さいので、食べても食べてもキリがないのですが、一寸の虫にも五分の魂、小さなシジミにもそれなりのヒストリーがあり、最終的には熱湯の中で絶命するのですが、その小さな命も食べられる事で”成仏する”との教えもあります。

そして何より、小さなシジミには肝臓に良い成分が多く含まれているとの事でして、まさに”酒呑みの救世主”と呼べるメシア的な何かです。

また、食べ残すと言う事は”勿体ない”と言う思想的なマイナス感だけにも思えますが、残したシジミの身がゴミとなれば少なからず廃棄物が増える訳でして、環境的にもよろしくないのではないでしょうか?

つまり、「面倒だから食べない」と言うのは我が儘でしかなく、より地球に優しい人間を目指すならば、まずは味噌汁の具として入っているシジミの身を、ひとつ残さず食べる所から行動すべきなのです。

シジミの身は食べない派の意見

「シジミは出汁だから身を食べなくても良い」

「小さくて数が多いので食べるのが面倒」

「面倒と言うか時間が掛かる」

「手を使わずに箸だけで食べると更に時間が掛かる」

「全部食べようとすると昼休みがシジミで終わる」

「そもそもシジミが好きではない」

「せめてアサリくらいの大きさなら……」

「大の大人が小さなシジミと格闘している姿はちょっと……」

「行儀良く身だけを食べるのは意外と難しい」

「つーか、いつまでシジミ喰ってんだよ!はよ席空けろや!」

以上です。

結局、味噌汁に入っているシジミの身は?

残してどうぞ!

いや、まあ筆者も子供の頃は食べてたし(子供は外食が少ない)、食べた方が良いかなとは思うのですが、それを世間が許さないみたいな空気感と言うか暗黙の了解を察した場合、誠に遺憾ではありますが身は放置して席を立つのが正解かなと。

もしも本当にシジミの身まで食べて欲しいんだったら、シジミの味噌汁を作る側が頑張って殻を外すとかすると思うんですよね。

それをやらない時点で調理してる側も「身まで食べる事は想定していない」とも考えられるし、現実的な問題として飲食店のコアタイムに味噌汁のシジミで時間かけて食べてる人が居たら、店側としてはマイナスかなと。

と、言う訳で個人的には小さなシジミ君の生涯を想うと誠に遺憾ではありますが、今後は身は残していく方向で、よろしくお願いしたいと思います。

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